里親アーカイブス

第2回
2020年12月18日up
人様に心を向け、喜びも悲しみも子どもたちとともに。

 

飯島博さん(春日部市)
 

登録後、すぐに3人きょうだいを迎えて

 里親登録したら、すぐに3人きょうだいの委託がありました。兄と妹2人という構成で、それぞれ障害を持っていました。実母さんの病気が悪くなり、子どもたちの面倒をみることが難しく、心配した親戚の方が児童相談所に相談したのです。親戚の方は3人一緒に預かってほしいと考えていたので、家が広い我が家に委託されることになりました。交流期間なしのいきなりの委託でした。

 5歳から来た末っ子のAさんは20歳になるまで15年、我が家で過ごしました。お姉さんのBさんも15年間です。お兄ちゃんのC君は18歳で社会人になり、5、6年、ウチにいてから、実の両親が住んでいる団地内に移り住みました。BさんもC君と同じ会社に就職しました。Aさんは20歳まで措置延長してもらった後、飲食店に就職しました。その飲食店にはパートの主婦が多く、若いAさんをよくかばってくれているようです。AさんとBさんは一時期、C君の部屋に引っ越したのですが、あまりうまくいかなかったので、2人で別の団地に引っ越して同じ部屋で生活しています。3人とも、職を変えずにずっと同じ会社で仕事を続けており、辛抱強くてえらいです。

 

初給料を得たC君からの驚くべき申し出

 C君が高校を卒業して会社勤めをした時のことです。平成19年4月のことでした。C君は初給料をもらってくると、その中から大金3万円を出して、私たち夫婦に渡しながら次のように言いました。「今まで8年間も私たち3人兄弟を育ててくれて、ありがとうございました。会長さんも奥さんも今まで私たちの世話をしてくれたため、一度も旅行に出れなかったでしょう。だからこれは少ないですけれども、このお金で2人で一緒に一泊旅行をして来てください」

私たちはそのC君の申し出にびっくりして、声を飲みました。その時、家内は余りのうれしさに気が動転して、とんでもないことを口にしたのでした。
「うわあ、うれしい。せっかく行かしてくれるなら、私は山形へ行きたいわ」
すると、C君は「そうなんですか」と言ってその場は終わりました。

ところが次の5月の給料日になると、C君は少ない給料の中から5万円を家内に差し出して、「先月の分とこれを足して、2人で山形へ旅行に行って下さい」と言ってきたのです。私たちはこの申し出に再度驚くとともに、真から悩んでしまいました。ハムレットの “To be or not to be, that is question.” つまり、このC君の2か月にわたる申し出は誠にありがたいが、行くべきか、それともこのお金を返金して旅行をやめるべきか、大きな迷路にはいってしまったのです。

半月ほど悩んだ末、やはり、このお金を大切にして、旅行に行ってあげたほうが、C君は喜ぶのではないかという結論に達しました。その翌月に山形ではなく、那須へ一泊旅行をさせてもらい、C君や他の子どもたちにいっぱいおみやげを買って帰りました。
もちろん、そのことを誰よりも喜んだのはC君ですが、私たちにとっても新婚旅行以来、30年ぶりに味わった2人だけの楽しい旅行になりました。

(奥様のひろ子さんがここでインタビューに加わってくれました)

ひろ子さん:C君は月に何回か、仕事場からご飯食べに来たり、泊まりに来ています。台風の時なども泊まっています。もうウチの子どものようです。
 

今となっては笑い話になりましたが、3人きょうだいが委託されて間もなくの頃、3人が消えてしまったことがあります。ある行事で、信者さんの当時小学1年生の息子さんと4人で遊んでいたのに、夕方、気がついたら4人がいないのです。雨がすごく降ってきて、どこに行っちゃったんだろうと大騒ぎになりました。土曜日だし、児童相談所にも連絡がつきません。生きた心地がしませんでしたが、チャーハンをつくって待っていました。

そうしたら、4人でひょっこり帰ってきたのですよ。きょうだいの両親が住む団地に行っていたのです。安心した途端、今度は腹が立って(笑)。小学1年生の男の子が「団地を見てみたい」と言ったそうなのですが、行きたかったのはC君だったようです。2台の自転車を使って4人で行ったのですが、団地までは遠いし、2台のうちの1台は小さい自転車だったのですよ。「初めは雨が降っていなかった」と言い訳していましたが……。C君は自分が育ったところに行きたかったんでしょうね。でも、両親には会ってこなかったのですよ。その後も、C君は何度も自転車で団地に行っていました。

博さん:「育ての親より生みの親」っていうけれど、やはり自分のお父さんお母さんが恋しいんだね。ご飯も食べさせてもらえないような生活だったのに、親のところに行ってみたかったんでしょう。戻りたかったわけじゃないんだろうけれど。親と子はそうやって繋がっているのですね。

 
博さんがカバンに入れて持ち歩いているC君作成の印鑑ケース
3人きょうだいを育ててみて、難しいこともありました。私の次女は幼い頃、ブドウ球菌が原因で脳髄膜炎になり、一時は植物人間を心配されました(今は、教会で手伝いをしてくれています)。3人きょうだいを迎えた当初、次女はいろいろと世話をやいてくれました。みんなまだ小さかったから、次女の後をついて、買い物に行ったりしていましたが、大きくなってきたら、立場が逆転してしまった。次女がきょうだいに何かを注意したら、きょうだいが大反発するようになってしまったのです。私としては、実子と里子を平等に扱わなければならないので、大変でした。
 

人を助ける行為のなかで自分が助かっている

 平成13年には、16歳のD君の委託がありました。D君は28歳くらいまで我が家で暮らしており、離れて暮らしていた実母が関東北部で亡くなった時は、2人で出向き、私が葬儀をあげました。その後、D君は教会の霊園の一角にお母さんの墓地を買いました。親孝行で良い子でした。現在は結婚をして、奥さんを連れて来てくれたこともありました。

 天理教の信者の中には、人を助けることによって自分を助けていただくという解釈をする方もありますが、それは少し浅い悟りなのかも知れません。人を助けるということは、それ自身、自分が助かっていることです。人を助けるという行為のなかに、自分が助かっているということがあるのです。ところが、我が身の助かりを忘れて人様のおたすけに専念していると、時には自分自身の心だけではなく、形のうえでも、予想していなかったおたすけにあずかってしまうことがあります。つまり、次のような出来事があったのです。
 

 平成20年、中学3年生のE君の委託がありました。E君の家庭は母1人、子1人でしたが、お母さんが30代後半で亡くなられたので、E君は我が家のいとし子になりました。E君には母方の祖母がおられて、その方は実に誠実な人でした。60代半ばのおばあさんは、本来なら自分が引き取るべきE君を縁もゆかりもない私たち夫婦が預かったことに感激して、ある日、我が家を訪れました。そして、土日以外の平日の午前中、わが教会での手伝いを申し出られました。以来、その方は自動車で来られるようになり、そのおかげで教会の厨房と台所はピカピカになり、家内の家庭仕事の手間が省けて、おたすけの時間が著しく増えました。
 

 あれこれ考えて里親になることを躊躇するより、まず行動に移すことが最重要だと思います。なぜなら里親をすることで、大きな感動のドラマを神様からいただけるからです。E君もまた、就職してから2年間ほど我が家にいて、お金をためてから独立しました。

 
平成20年頃、コスモスの花咲く中、みんなで一緒に
 

男泣きした里子の家出

 平成22年に委託されたF君は当時高校生で、学校で悪い仲間と固く結束してタバコを吸っては先生に叱られていました。ある時、私に怒られたF君が10日間くらい家を飛び出したことがありました。本人は軽い気持ちで家出したようですが、どんな理由があっても教会から飛び出させてしまった自分が申し訳なく、私は男泣きに泣いて神様にお詫びしました。誰も保護する人がいないから、ウチで預かったのに、ウチから出てどうしているんだろうという申し訳なさがありました。

でも当の本人は飛び出したものの、今度は帰りにくくなっちゃって困ったようです。だから警察にうまく飛び込んで、警察で保護されたかたちにして、私たちを呼び寄せて帰ってきました。もう頭がいいんですよ。夜に遠くの警察から連絡が来て、F君を迎えに行きましたよ。警察の人はF君に「謝りなさい」と言ってくれましたが、本人は「帰ったら謝るよ」くらいの気持ちでした。でも、かわいい子でしたよ。今でも、奥さんと子どもを連れて帰ってきます。

 
F君がひろ子さんにプレゼントしたF君お手製のバッグ
 

不自由とは感じない共同生活

 現在は、小学6年生の男の子を委託されています。あと、平成25年、高校生の時に委託されたG君も我が家にいます。G君は20歳の時に「1人暮らしがしたい」と言って我が家を出たのですが、戻ってきました。借りていたアパートの別の部屋から漏れる雑音がうるさくて仕方なかったそうです。どこかアパートを紹介してもらおうと、家内に相談しに来たので、家内が「うちに帰ってくれば」と言ったら、その日のうちに帰ってきました(笑)。G君、一度家を出たらもう帰れないと思っていたらしいです。

 私は、小さな頃からいろんな人と教会で過ごしてきて、血縁の人とだけ生活するということがほとんどありませんでした。誰かがいつも何人かいるという生活のなかで、「自分の生活を律していく。誰か他人が入ることによって、身が正される」という思いがあります。そのことで窮屈だと思ったことがありません。むしろ、人がいない時のほうが不安です。誰かがいてくれて自分たちの気ままな生活ができなくなる、そのことによって自分が神様のより近くに歩ませていただけると思っているのです。人と一緒に生活することはそんなに不自由ではありません。逆に、人が少なくなって空き部屋のある現在を不本意に感じます。

 
飯島博さん・ひろ子さん 近影。天理教愛照分教会にて。
 

おわりに

 博さん:体は神様からお預かりしているもの、心は自分のものです。体をどう使うかは自分の心ひとつです。自分に与えられた心を通して、神様からの借り物の体を使って、人のためになることをやらせてもらったらいいんじゃないかな。その1つが里親という仕事なんだと私は位置づけています。里親だけが自分の仕事だとは思っていませんが、里親は「体が丈夫な人たちができる、その気になったら誰でもやれるお仕事」なのだから、やらせていただいたほうがいいなと思います。そして、私たちが里子を育てるだけじゃなくて、私たちの生き方を見て里親になった方々が現れてくれたのはすごく有難いことです。

ひろ子さん:私は神様の教えで、お腹を痛めた自分の子と同じ思いで里子を育てようと里親をしてきました。それができない日もあるんですけれど……。今の子なんか自分にとっては、子どもというより孫ですよね。だから、自分の孫にしてあげたいことは里子にもやってあげたい。そういう気持ちでいます。

 
令和2年8月15日天理教愛照分教会にて拝聴
取材:アーカイブスプロジェクトメンバー(横田尚志・西野奈穂子・石井敦)
 
 
昭和14年 博誕生
昭和23年 ひろ子誕生
昭和43年 博、ひろ子結婚
昭和46年 長女誕生
昭和47年 次女誕生
昭和49年 長男誕生、天理教愛照分教会長拝命
昭和50年 三女誕生
昭和55年 四女誕生
平成11年 夫婦で里親登録
 〃 C君(11歳)、Bさん(9歳)、Aさん(5歳)委託
平成13年 D君(16歳)の委託 
平成15年 博 専門里親登録
平成20年 E君(中学3年生)の委託
平成22年 F君(15歳)の委託
平成25年 G君(15歳)の委託
平成27年 博、ひろ子、厚生労働大臣表彰状 受賞