皆様の声

縁あって一緒に生活することになった家族。 でもそんな里親家庭といえども普通の家族と同じ、ひとつ屋根の下、悩み、喜び、励ましあい、それぞれの家庭に物語があります。そんな物語の一部をご紹介致します。

【里子】高校生になっての思い

僕は今、高校一年生です。高校を選択する時に、三つの事を考えていました。
一つ目は部活動です。僕は中学の三年間テニスをやっていましたが、あまり上手くなれるような環境ではなく、高校では上達できる環境に行きたいと思い選びました。
二つ目は大学への進学率です。僕は将来、理系の職業に就きたく、それを叶えるためには大学へ行き、より自分の得意分野を伸ばしたいと思ったからです。
三つ目はネームバリューです。やはり、どこの高校に行っているのか聞かれた時に、皆が知らないよりも有名校に行きたいと思いました。 以上のような事で、部活動は全国大会常連校で学力も良 いところと思いました。ですが自分の理想に合った高校は簡単ではありませんでした。偏差値は高く合格できる 限りぎりのところで、部活動の練習も夜8時以降になることが当たり前のような高校です。入学時は楽しみや不安の中、新しい生活になるのをわくわくしていました が、一学期を終えるころには二つの両立は難しくなり、 成績や部活動で大変な思いをしています。 正直言って、もっと楽な高校に行けば良かったと思う時も多々ありましたが、自分で決めたことなので最後まで頑張って行こうと思います。
これから高校を選択していく人たちは、自分に合った ところに行ってほしいと思います。余り無理をして行か なくても、自分のレベルに合ったところが良いと思います。そして、頑張って上を目指す人は、自分の夢をしっかり持って目標を決めて行ってほしいと思います。自分は、これから二年間と少し、まだまだある高校生活を楽しく頑張って送って行きたいです。

中央ゆずりは会 Kさん

【里子】里親家庭で過ごした日々

私が里親に引き取られたのは、高校一年生の春でした。引き取られてからの一年は、新しい環境で過ごすということへの不安や戸惑いでいっぱいでした。当時、極度の人見知りだった私は、慣れない環境と同時に人と接する機会が増えたので、そのことに対するストレスで自暴自棄になってしまった時期がありました。高校も行かなくなり、家に引きこもってばかりいました。家にいても里親と顔を合わせることが気まずく、私が今後どうしていくのかを考える日々がおよそ5カ月の間、続きました。周りの方へ迷惑をかけ続けることしかできない自分に嫌気が差しました。
そんな私でしたが、里親さんが最後まで私を見捨てずに真剣に向き合っていく姿を見て、このままじゃダメだと思いました。里親さんは私と向き合おうとしてくれているのに、私は私自身と向き合わずに逃げようとばかりしていました。私自身が変わらない限り、この息苦しい状況はいつまで経っても変わらないと思いました。
そこで、まずは高校にちゃんと通うことを決心しました。高校を卒業しなくては、まともな人生は送れないと思ったからです。最初はクラスメイトの視線が痛かったですが、今度は逃げないと心に誓っていたので、なんとか乗り切ることができました。そこから普通に高校に通い続けられるようになりました。里親さんとの関係も回復していき、ずっと無いと思っていた私の居場所をやっと見つけたような気がしました。
今の里親さんと出会ったことによって、私自身も本当に変われたと思いました。今は、高校を卒業して、就職もして、正社員として働いています。里親さんの家も離れ、一人暮らしをしています。里親さんに引き取られてから、辛いことがたくさんありました。ですが、辛いことを乗り越えたら、その何倍も楽しいことやうれしいことが起こりました。
里親さんにはたくさん迷惑をかけましたが、今は感謝の気持ちでいっぱいです。まともな人間になり、まともな社会人生活を送ることができるのは、里親さんのおかげです。ありがとうございました。今は幸せな人生を歩んでいます。

所沢里親会 M.Sさん

【里子】両親への想い

私が両親と生活をはじめたのは4歳でした。
小さい時からずっと可愛がってくれ、どんなことがあっても差別することなくいつも向き合ってくれていました。
母親と大喧嘩した時自分は、まあ本当の親じゃないし血繋がってないからしょうがないかって思ってしまったことは何回かありましたが、今となっては本当にこんなこと思ってしまった事自体がすごく申し訳なかったと後悔したぐらいです。
時々母親に私が今の両親のところに来るまでの過程を聞いたりしますが、私の事本当に心から愛し必要とされてるんだなと感じます。たまに色々考えたりしますが、大人になった今でも本当に両親の事が大好きでたとえ結婚しても離れたくなくずっと一緒にいたいそう思うくらいです。
父、母私を選んでくれて本当にありがとう。養子とか関係なく誰より1番に幸せを感じています。

南はなみずき会 M.Oさん

【里子】里親家庭で育ってきた私の生い立ちと現在

私は3歳から里子として横田家に迎えられ、21歳の時に養子縁組をしました。現在、34歳であり電気製品メーカーの営業をしております。
今回、本文章を書かせて頂くことになったいきさつとしては、偶然にも里親会の方とお会いする機会があり、それから執筆を勧めていただいたためです。私の体験が読んでくださる方々の参考になれば幸いです。
私は2歳の時に両親が離婚し父方に引き取られました。3歳の時に父が病気になり養育が困難となったため一時保護所に入りました。それから今の養父母である横田夫妻に里子として育てて頂くこととなりました。私が横田家に迎えられた時は実子の長男と次男、私と同じ里子の男の子がいました。その後、時期は別々ですが里子の妹3人、弟1人が迎えられて、結果8人兄弟の四男として育つこととなりました。その後、大学を卒業し、電気部品メーカーの営業になり、転職をして現在の仕事をしております。
養父母には今でも大変感謝をしております。特に私の意思を最大限尊重してくれたことと、私の素行が悪い時も見捨てずに私を受け入れてくれたことに感謝をしています。私は高校1年生までは勉強もでき順調でした。このまま良い大学、良い企業に入り親孝行をしていくのだろうと思っていました。しかし、高校2年から急にやる気が出なくなり、勉強を全くせず、遊び始めるようになりました。親に連絡をせずに家に明け方まで帰ってこないことは頻繁にあり、遊ぶお金がなくなると親から借りようとして、借りれないと逆上をしたこともありました。里子として育てて頂いているのに自分は何をしているのかという罪悪感を持つようになり、それから逃れるために、現実逃避行動をしてまた罪悪感を持つという悪循環でした。あの頃は里親に感謝をすることができませんでした。感謝をしたらまた勉強を必死にやらなければならなくなるので、あえて考えないようにしていました。そんな私でしたが両親は私を受け入れてくれました。大学にも入学させてくれました。本当にありがたかったです。
しかし、大学に入ってからの私は無気力でした。良い大学に入り良い企業に入社することはもう私にはできないと思っていたからです。養父母の期待に応えることができなかったといううしろめたさもありました。入社を機に家を離れましたが、仕事が思い描いていたものと違い無気力でありました。実家には年2、3回帰る程度でした。そのような生き方をしていた私ですが、3年ほど前に読んだある本をきっかけに少しずつ変わり始めました。その本から学んだことは2点あり、1つは自分の人生で本当に大事なものを明確にすることと、もう1つはこれからの自分の人生をどう生きていくかを明確にすることの重要性です。数年かけて私はこの2つを考え続けました。結果として今、思っていることは「私の人生で大事なことは養父母への感謝と尊敬」です。今ではこれがなければ私は今後、何をやってもうまくはいかないと考えています。感謝というところでは、実家には現在、毎月帰っており、自分に手伝えることがあればするようにしています。尊敬というところでは、養父母の生き方は困っている人のために必死で仕えていくことだったと思うので、私も仕事の傍らにボランティア活動をして、人に仕えるようにしています。ボランティア活動の内容としては自分と同じ社会的養護当事者を支援することです。
私は養父母に育てていただいたおかけで幸せです。この幸せを自分と同じ社会的養護当事者の方にも感じてもらいたいです。そのために今自分ができることをこれからも行っていきたいと思います。

所沢里親会 Y.Tさん